Month: November 2020

空海とキリスト(光はいくつあってもいい)

※以前のブログの2015年4月21日の記事です。 . 「このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行ないを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい」(マタイ5:16) . 世の中の常識とされていることの多くは、とにかくそういうことになっているのだからそうなのだ、という感じで存在し蔓延している。 たとえば芸能・宗教・政治といったマツリゴトは、形骸した常識に疑問を抱くことを肯定する人間の秘められた力の表れではなかろーか。 だがその芸能・宗教・政治も御多分にもれずその大半を自ら形骸化させてしまうのも世の常、世の習いであり、そうした中で起きる本末転倒な情けなさや苦悩やねじれ現象そのほかもまた、人情のあらわれといえるだろう。 学校の教科書そのほか、いわゆる一般的な《日本の歴史》においては、キリスト教は戦国時代にフランシスコ・ザビエルによって伝来した南蛮渡来の宗教ということになっている。 でもほんとうはキリスト教が日本に伝わったのはたとえば平安時代で、遣唐使だった空海と最澄が中国大陸よりその教えと物語を持ち帰ったというのがあたらしい常識だ。 入唐したのは延暦23年、西暦にして804年。再び日本の地を踏んだのは二年後である。 「虚しく往きて実ちて帰る」、この空海の言葉は、唐より帰国したときには大きく成長していたことを意味する。その成長、成果の集合体の中に、キリストの教えが含まれていたということだ。 現在と違って昔の仏教のお坊さんというのは、ひとつの宗教団体に属する宗教家というよりも、もっと全般的な視野を持つ思想家であり学者だった。もっとも、それは時代関係なく本来、宗教というものはそういうものだ。もっと言えば宗教に限らず、世の中で関係のないことなど存在しないわけで、たとえばネジをつくる職人のその手仕事は世界全体に時空を超えて繋がっており、連弾する関係性が途切れることはないだろう。もし途切れるときがくるならば、その瞬間、ネジもまた世界から消滅しているはずだ。 . 当時の唐は、仏教だけでなく様々な宗教の坩堝だった。 イエス昇天後、弟子の聖トマスはインド方面に布教し、随分早い頃から中国にキリスト教は存在したという。キリスト教ネストリウス派は、景教と呼ばれた。 空海は、仏教を学びつつ景教の洗礼を受け、《遍照金剛》という洗礼名を授かった。いまの時代は霊名というと聖人の名前をもらうのが普通だが、当時の唐の景教は少しその辺り独特だったのだろうか。 これはマタイ伝の「あなたがたの光を人々の前で輝かせ・・」を中国語に訳したものだ。この《遍照金剛》は《南無遍照金剛》となり、真言宗の最も短い経文「御宝号」となった。四国お遍路さんの装束に書かれているのも、この言葉である。 . 《光》はあまねく同じ光だ。それが釈迦の教えでもイエスの教えでも音楽でも絵画でも詩でもコメディでも、人々の前で輝かせるその《光》はまぎれもなく名前や土地やあらゆる物理を超越した、やさしいひとつきりの《光》のはずだ。 だから空海にとって、キリスト教の「天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい」の《父》が《お釈迦さま》であっても、べつだん問題はないと思ったのだ。それは彼が、かたちではなく真理や本質を求めていたからだろう。 . 二年経ち、元々、薬学を学ぶ僧侶として遣唐使に選ばれた空海は、ほかにも土木技術などいろいろ身につけ、弟子たちを従え帰国する。このとき船上で揺られる荷物の中、大陸で授かった仏教アイテムの数々とともに漢語訳の新約聖書もあったのだ。 最澄は天台宗を開き、空海は真言宗を開く。 そしてのちに、その不思議な霊力と膨大な知識と技術を備え持つ空海は、多くの伝説に加担していく。 ため池をつくったり雨乞いをしたりしたぐらいはまだ《常識》の範疇だが、めくるめく展開する空海伝説は、もはやミステリーの域で、たしかに教科書という常識の具現物には扱えない歴史のかけらたちである。 空海は高野山奥の院にて、現在も坐を組んで修行しているとされている。磔になったのち復活し昇天したイエス・キリストのように永遠のうちに存在している。 . お大師さま入定せし山中のミニマムな霊廟、その仄暗い薄闇の中で仏教観とキリスト教観が時空を超えてひとつの《光》になって灯り、揺らめいている!!! . 荒川修作は芸術家と科学者と哲学者を融合したコーデノロジスト。レオナルド・ダ・ヴィンチもジャンルやカテゴリーなどという言葉など知らぬ存ぜぬの総合的な天才だった。弘法大師もまたそうした人物だったのだろう。 はたして真言密教ということわりの中で、彼が描いた世界とは何だったのか? 彼が見つめ捉えていた世界とはどのようなイメージの集合体だったのか? . 「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」(ヨハネ8:12) . どんな宗教でもそれ単独で花開き維持され続けるものなどあり得ない。すべては繋がっている。 お釈迦さまもイエスさまもそれぞれ既存の宗教社会の中で《新しい教え》を説いた。新しさというのは応用でもある。疑問を持つべく常識がなければ新しい《光》も生まれない。 仏教はほかの宗教にも増して、多種多様に宗派や考えが分かれる。ブッダが本人による経典などを残さなかったことや宗教として確立したかったわけではないことがその大きな理由といえるだろう。 そこにきてさらに日本というごちゃ混ぜ文化の大家のような風土である。空海しかり、のちの親鸞しかり、キリスト教の影響のない宗派しかり、様々な文化や思想を融合させ、お釈迦さまの世界を衆生に対してよりわかりやすく際立たせる。 . だって、《光》ならいいのだから。それが《光》ならば、全然OKなのだから。 いつしか《光》の前に、べつのあたらしい《光》が生まれる。 そうして《光》と《光》、ふたつの《光》が同時に同じ時空に存在した瞬間、しかしそのふたつの《光》は直接的に触れておらずとも、そして考えや行いが変化していても、どうしたって絶対的に同じ《光》である。 ふたつの異なる《光》でありながら、闇をつなぐように灯る《光》。 《光》は、ほんとうのやさしさを示している。 

真夜中だから大遅刻 #2

帝都こんぴら学園は、夜間学校はあっても真夜中学校はないから、大遅刻 でもモンスターと闘わないといけないし、学校いってきまーす .