Month: August 2020

真夏のモノクローム

かっこいいブラウスで、真夏の木陰にて 背中は、生地がちがう . *** blouse : IKKA .

鈍く光る朝

目覚めは、鈍い痛みの認識から始まる。 ここがどこなのか、わからない。 血が流れ、骨が動き、光は闇の裡に確かにある。 . いまこそクレージーキャッツの精神。 添田唖蝉坊、植木等、高田渡と脈々と流れた、不屈のナンセンス魂。 そして、遥か満州から時空を超えて21世紀TOKYO、渦巻の中で赤塚不二夫とタモリ、そして私が、高らかに笑う。 . 私は歴史の犠牲者、そして加害者。 . 言葉を超えたら、こんにちは。 .

高田渡&金城恵子「よろん小唄(ラッパ節)」

明治の頃に添田唖蝉坊が「ラッパ節」をつくって、東京で流行した。

歌づくりのきっかけになったアドバイスをしたのは、弟子の渋井かくという、縁日を仕切っていた姐さんであった。

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それをのちに出稼ぎ労働者が与論島に帰って口ずさみ、その「与論ラッパ節」は、「与論小唄」または「十九の春」となった。

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最初につくられた「ラッパ節」が、歌う者たちや土地や時代や社会状況の中で少しずつ改変されていった。寄るべない旅人がさまようように。川の流れが野山や水路を辿っていくように。歌とは、そういうものだ。

「ラッパ節」はほかにも、唖蝉坊がつくった「社会党ラッパ節」や、また沖縄以外の土地にも伝わった例として、「足尾銅山ラッパ節」もある。

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添田唖蝉坊さんの生まれ変わりのような存在、それが高田渡。(実際、その来し方はよく似ている)

その高田渡が、唖蝉坊から流れ流れて、歌謡史の中のある地点に、ふっと、立つ。

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彼が生涯をかけて歌い続けたアメリカ生まれのロックンロール「朝日楼」が、浅川マキや内田裕也やさまざまな人が歌う「朝日のあたる家」の多くのバージョンのうちのひとつであるように、ここで歌われる「よろん小唄(十九の春)」も詠み人知らずの宇宙的瞬間だ。

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B面で歌ってる「ラッパ節」も、沖縄に伝わったあとの「ラッパ節」である。

高田渡は社会の底辺をいっしょうけんめい生きる人の歌を、数多く歌った。

「朝日楼」と同じく、この南国で育まれた歌たちもまた、娼婦の悲哀がベースにある。

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フォークソング、それは民衆のうた。

フォークソング、それは流行りうた。

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渋谷毅のピアノと、嘉手苅林次の三味線と、高田渡の声が、文化や歴史のルーツを確かめて先人にリスペクトしながら、どこでもない場所を現象させていく。

ジャケットの写真が、よいです。

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もしもしちょいと恵子さん♫

もしもしそこのセドリックさん♫

もしもしあなたの高田渡です♫

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話しかけずにはいられない

どせいさん こんにちは . 町のほうからきました 使命をもって冒険中です . おしえて この谷の名産品 おしえて この温泉の効能 おかねはドルがつかえるの . 「ここでは みんな どせいさんなんです」 人間もむかしはそうだったんだって .