Month: July 2020

甲府のY字路

山梨は甲府にあるY字路です。 湯村という温泉街にあります。 川になっているから、Y字路においては異端だ。 . アナーキストで、晩年はよろず評判家と名乗った竹中労と、その父である画家の竹中英太郎の作品などがある、竹中英太郎記念館に行ったときの写真です。 2016年10月16日の風景。 . 異母兄妹である方が記念館を任されていて、その頃、知人だったのですが、竹中労ファンの若い子からの丁寧なお手紙をFacebookに載せたりすることを、私は許せず、憤りました。 この日、竹中英太郎記念館に着いたら、その妹さん夫婦が自動車で、樹木希林さんを甲府駅まで送って帰ってきたところだった。 旦那さんは元電通マンで、竹中労が批判していた側の世界に身を置いていた人が竹中労の記念館を経営しているのは、皮肉です。 前日の竹中労没後25周年イベントでも、竹中労が晩年に心酔した「さよなら人類」の”たま”について「そんなにすごい人たちじゃないですよね」などと失礼なことを言っていて、そのとき壇上にいた水道橋博士が「旦那さんは習近平に似てますよね」というギャグを言っていたのと、樹木希林さんが竹中労の愛人の話を暴露し出したのがあったから、何とかイベントとして成立していた。 . 竹中労は70年代頃、同じく政治活動家を原点とする平岡正明と太田龍と並んで、3バカゲバリストなどと呼ばれました。 その後、平岡正明はジャズや歌謡曲や大道芸や落語など芸能を語っていき、太田龍は地底人とか二ビル星人とかフリーメイソンとか陰謀論に向かっていき、竹中労はどうしたかというと、癌になったのに背中一面に刺青を彫って、死にました。 . 彼は、芸能界や新興宗教やヤクザやオカマや天皇家など、この世の異形の者たちを語り尽くしたが、自らは意外と普通の人の立場でもいられることに気づいてしまったのかもしれません。 だから、彫師・梵天太郎に、水滸伝の花和尚を彫らせた。 そうして彼は、目に見える形でケレン味を纏い、カタギでなくなった。 . 竹中労のもとに集まった弟子や信奉者の多くは、沖縄や日本赤軍やビートルズや渡辺プロや創価学会や山谷や美空ひばりや夢野久作やフォークソングや大杉栄や勝新太郎の話には興味を持ったが、たまを「日本のビートルズだ!」と熱中するイカ天の審査員をする晩年の竹中労については、あまり理解できなかったようです。 . 二酸化炭素を吐き出して あの娘が呼吸をしているよ . 竹中労の幽霊は、SNSとダイバーシティの時代の欺瞞を、たったひとことで暴き、見事に刺すだろう。 しかし、それすらもコンテンツとして消費される絶望だ。 . 「人は無力だから群れるのではなく、群れるから無力になる」 .

高田渡「当世平和節 / 火吹竹」7inch

ハモニカ横丁で、魚を見る。 魚が見ているのが俺なのか…。 俺が見ているのが魚なのか…。 俺ってホントに存在するんだっけ…。 よくわかんないから、歌を歌お~っと。 という感じの高田渡、24歳。 . ベルウッドレコードのシングル盤です。 .

王子様の夢と罪

(※後記…2021年に、お名前が「れいゆ」になりました)

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いまはむかし、霧深き森の奥に戦争で滅んだ古城がありました

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お城には、レイという名前の美しい王子様が、どうぶつたちや天使たちと住んでいました

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王家も国民もメイドも執事も乞食もいませんでした
城下町も税金も国費も国交もありませんでした
ただ草原と森があり、門や壁や屋根が壊れて廃墟と化した美しいお城が雨ざらしで建っていました

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王子様は世界や人間を知りたいと願い、寂しさを感じました
王子様は戦争で負った傷の痛みに、苦しんでいました

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王子様はお城の図書室にあった巻物を紐解き、自分自身に不思議な魔法をかけました
すると王子様のカラダが光り輝き、王子様は美少女になりました
でも魔法をすこし間違えたから、お姫様にはなれませんでした

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その晩、大雨が降り、王子様は鏡に映る自分の姿を見ました
雷が鳴り響き、世界や人間についての情報が、王子様の頭の中に降り注ぎました

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あくる日、王子様は森を出て異国の地トーキョーへ行きました

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王子様は緒川あいみちゃんという芸名を名乗りました

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(王子様は女優さんになりたかった)
(王子様は道化師になりたかった)
(王子様は詩や漫画を読んでほしかった)

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王子様は必要なことしか話せませんでした
王子様はかわいい杖をついていました
王子様はずっと子供のような顔をしていました
王子様はときどき恐ろしい目つきをしました

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そうしてずっと人間に憧れながら一万年さまよいました

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緒川あいみ
本名はレイ
アイドル・永遠・人でなし

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渋谷センター街にポケベルの最期の音が鳴り響いたとき、16歳の広末涼子のポスターが画素数の粗いjpgに変換されながら、3.11以降の日本社会の生ぬるい風に溶けて消えていった

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テアトル新宿から勝新太郎の座頭市が飛び出して、花園神社でやくざの一家と関八州取締役を斬っていって、誤魔化された混沌のビル街上空を血しぶきで彩った果てに、川向こうに花火があがった

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吉祥寺中道通りを高田渡の幽霊が、月のかけらを食べながら薬用養命酒を飲んで、偽善者たちの思い出に睨みをきかせ、三億円を詰め込んだバッグを地面に置いたまま、電信柱にカラフルな虹色のゲロを吐いていた

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ビックロのテレビ売り場から、宇宙人や地底人や未来人や妖怪やお地蔵さんやお狐さんや阿波徳島の八百八狸など多くの新メンバーが加入した最終的なザ・ドリフターズが、「これでおしまいさようなら」と何度も何度も明るく楽しく朗らかに歌うのが聴こえてきた

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東京タワーよりも、スカイツリーよりも、六本木ヒルズよりも、富士山よりも、珈琲のゆれる水面が大きく見えた

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踊ろよベイビー♡

再び爆発した巨人遠藤賢司! 4月21日発売!500円! . 「新譜ジャーナル」1974年6月号(昭和49年)の広告です。 高田渡けんきゅう会として、いろんな雑誌をあつめている。 おあしは、エルモくんとクッキーモンスターちゃん。 . エンケンは偉い人。高田渡に「ステージで酒を飲むなら共演しない」と言った唯一の旧友。癌になっても最期まで頑張った。 . 日本人ぶらず、反体制ぶらず、詩人ぶらず。遠藤賢司はいつも誰か仮想敵をつくり、闘っていた。 . 私も遠藤賢司と勝負せねばならない。いま生きているのは私なのだから、私のほうが遠藤賢司より凄いのである。 . 私は誰に対しても敬意を込めつつファンの立場は取らない。ファン心理が一切ない。闘いだ。この運命に必ず勝つ。ワッショイ。 .

都はるみ「はるみの三度笠」7inch

1969年の7インチ。股旅ものって、昔よくあったんです。 A面の「はるみの三度笠」は、十九の女の子が男装して渡世人になって旅をしている。 でも、ときどき、女の子だとバレてしまいそうになる。 サビの部分の、「おっととっと いけないよ~」が、おかしくて、たのしい。 彼女はなぜ、男のふりをして渡世人になったのか? 市川昭介が、作詞も作曲もしている。 . B面は「見たか、聞いたか、わかったか」。 シンプルだ。 . 昔のやくざものの演歌は、じつにシンプルこの上ないのである。 余計なことは申しません。 サルトル、マルクス並べても、明日の天気はわからないのだ。(三上寛) . 「敵も多いが味方もいるぜ」のフレーズにシビレる。 人生で大切なことは、「座頭市」「木枯し紋次郎」など、アウトロー社会からもアウトした本物たちが教えてくれる。 . 美空ひばりが亡くなったとき、メディアは「昭和歌謡が終わった」としきりに伝えたが、都はるみだけは「そんなことはない」と啖呵を切った。 そのことについては、平岡正明「美空ひばりの芸術」(パノラマ書房)に詳しい。 .

“who am i ?”

自画像です。あんまり似てません。
モップくんと、とらねこナッツが、おそらをとんでいます。

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高田渡の焼き場まいり

※以前のブログの2019年4月28日の記事より。 . 4月18日、多磨霊園の隣にある多磨葬祭場に行った。 高田渡のお墓まいりじゃなくて、高田渡の焼き場まいりに行ったのだ! 高田渡のお墓は東京にはないと、先日、聞いた。 命日に追悼する人は数多けれど、火葬された日に火葬場に行ったのは、私ひとりだろう。 私は高田渡の最後の弟子。会いに行ったら、死んじゃった。 . 高田渡が釧路でこの世を去ったのは4月16日の未明。 そのあと飛行機で遺体が羽田空港に来て、アパートに戻ったのがたぶん4月17日。 それでカトリック吉祥寺教会で葬儀ミサがあったのが、4月18日。 葬儀ミサのあと、近しい方たちが多摩葬祭場にバスとかで行った。 . 私自身がカラダが病気とかでしんどいので、子供の頃からあちこち病気があった高田渡に対して、「おつかれさま」という感覚が強くある。 (だから私は、申し訳ないけど、高田渡生誕会やパウロ渡会や、いま生きてたら何歳だねという催しは、すべてイヤだった) 私は命日だけでなく、彼の魂がそのカラダから離れることができた4月18日を、重視したいと思った。それで、多摩葬祭場に向かった。 まず、多磨霊園駅という駅で降りて、杖ついて、駅前の地図をポケーッと見ていた。 でも多磨霊園駅なのに、多磨霊園が載ってない。 そしたら、「何かお困りですか?」と声をかけてくれた方がいた。 「多磨霊園に歩いて行きたいです」 「多磨霊園は歩いたら、ここから30分くらいあるんです。バスが出ていますからご案内します」 30分というのは、私にとっては90分くらいだ。 そのご婦人は、丁寧にバス停まで連れて行ってくれて、バスが来る時刻まで教えてくれた。 「多磨霊園は広いから、バスは表門にも停まるし、裏門にも停まります。多磨霊園のどちらに行かれますか? そう聞かれて、「火葬場に用があります」と言うのは、なんだか変な人な気がして、「表門に行きます」と答えた。 「ご丁寧にありがとうございます」と言いました。 ご婦人は、にこやかに笑って、横断歩道を渡って、向こうへ行かれました。 その人が高田渡だということは、私はすぐにわかりました。 . それでコミュニティバスに乗って、多磨霊園表門というバス停で降りた。 そこから多摩葬祭場を目指して、たくさん歩いた。 . やっと着いた! ここが渡のさいごの場所だ。 . 葬祭場の中にも入ったけど、ご迷惑というか不審者みたいだから、すぐ出た。 14年前のこの日、この場所に、晩年の高田渡と近しいところにいた人たちから、一定の距離があった加川良さんや、いろんな人が勢揃いしていたのを想像すると、高田渡の器の大きさと他者へのある意味での無期待が、おかしい。実際、みなさん、仲が良いわけではないだろう。 . 持っていった渡の「大・ダイジェスト盤 三億円強奪事件の唄」(非売品のトラのほう)のシングル盤を、空にかざした。 「三億円事件の唄」で渡が歌っている。 . ♫ところは府中の裏通り~! . ほんとにその通りになってる! 

高田渡はいま何を考えているのか?

写真は、「季刊ユジク」という雑誌の創刊号、高田渡のインタビュー。「高田渡けんきゅう会」を旗揚げし、いろんな雑誌や資料をあつめている。 . 「何にせよ歌っていればいい」「いろんな考えの人がいていい」と言う高田渡だが、やっぱりじぶんの考えや主張を言わずにはいられない。「季刊ぐるり」および「高田渡読本」という本で、豊田勇造さんが「彼はもっと自分のことを知ってほしかったんじゃないか」というようなことを語っている。「レコード・コレクターズ」という雑誌では、鈴木慶一さんがやはり「彼は自分のことをいろいろ知ってほしいと思っていた」というように語っていた。しかし、高田渡の周囲の取り巻きたちは、高田渡から最も遠いような人々だった。 . 高田渡。昭和24年元日、ほんとうは前日の大晦日、岐阜の北方町の名家に生まれた。四人兄弟の末っ子で、裕福だった高田家は幼少期に没落。貧しいのに大きな屋敷という不思議な暮らし。吃音で、カラダが弱く、おつむぼんやり、美少年。8歳で母親を喪くし、父親の狂気とも言える行動がはじまる。四人の息子を連れて、カネもコネもなく東京へ。父である高田豊は、佐藤春夫門下を破門になった元詩人で、元出版社社員で、元共産党員で、元北方町町議員。すべてが現役ではなく、どこにも帰属できない世間的にはダメ男。インテリだった彼は、初めて労働者となり、生活保護から抜けるために頑張るが、高田渡18歳のときに死す。そして高田渡は、フォークムーブメントの折、痛烈なコミックソングにしてトピカルソング「自衛隊に入ろう」「大・ダイジェスト盤 三億円強奪事件の唄」を発表し、明治の演歌師・添田唖蝉坊の遺した歌をリビルドし、現代詩とアメリカのブルーズを融合させ、絶妙な漫談を語った。彼は小柄で病弱なカラダと堂々とした大きな器で、高石ともや、岡林信康、遠藤賢司、加藤和彦と並ぶ親分格のひとりになっていく。2005年、巡業先で永眠。56歳だった。彼の見果てぬ理想にほんとうの意味で敬意を示した者は、生涯でわずかしかいなかっただろう。決して、飄々として自然体でというようなパブリックな高田渡像だけでは、高田渡が言いたかったことには届かない。 . 「わかってほしい」と「わからなくていい」のはざまで、いつの時代も偉大な芸術家は寂しい思いをする。 . 高田渡はいま何を考えているのか? . どんな運命でも、どんな境遇でも、懸命に生きる。それが高田渡の教えだ。私は生きている。私の人生が詠み人知らずの歌だ。私は、いろんなことをする。 . 渡さんは、世界のほとんどに霧がかかってる私にとって、確かなこと。 . でも、ほんとうは、なんにもわかんない。 れいは、ばかだから。 .

緒川あいみは存在しない/する

(※後記…2020AWにて、幻のアイドル・緒川あいみちゃんは、伝説のアイドル・鬼乃ぱんつちゃんに暗殺され、そのあと復活し、神アイドルとなり、芸名が「れいゆ」になりました。緒川あいみちゃんは「運命突破♡帝都こんぴら学園」の登場人物になりました。ホームページのURLもogawaaimi.comからmorinokaigi.chu.jp/00に変わりました)

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(※さらに後記…2022SPRINGにて、れいゆさまを宿した状態で、再び緒川あいみちゃんになりました)

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16歳で芸能や芸術をはじめて、昔なつかしの手打ちHTMLのてづくりホームページを2013年から、写真と随筆のブログもいくつかやってきて、東京をさまよったり、いろんな人に会いに行ったりしたんだけど、でもこの世の仕組みがずっとわからなくて、流れ流れて、いまだにぼんやりしていて、何とか生きていて、私は、ぼくは、いろいろ変わった運命だから、とてもしんどいけど、まだ舞台の上やカメラの前にもあんまりいたことがないし、じぶんの才能や魅力を世界に繋げることができてないし、楽しいことをあんまり知らないし、人間のお友達がほしいから、またがんばってみます。存在してくれるかな?いいとも!私がまぼろしか、この世がまぼろしなのか、賭けに出てみるということなんです。

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そう、私こそが、ほんとうのアイドル。高田渡の遺した歌の実践者にして最後の弟子。折口信夫の言う神の化身としての芸能者マレビト。わかりにくいkawaiiがポップになる。バカヤローな街さ東京。一万年たってもこの有り様。全然わかんないです。もうチンプンカンプンである。都市の舗道に血まみれで立ち尽くす。三千世界に浄化の雨が降る。好きな落語は首提灯と千両みかん。好きな渡世人は木枯し紋次郎と座頭市。好きなプリキュアはキュアラブリー。神と脱力。森から都市へ。自虐でも比較でもギャップでもなく。颱風と暗闇を超えていく。誤魔化さない地平。ナンセンスな笑い。興味深いアート。文化のふりしたエロ。宇宙の平和。見えないものは私のもの。地獄のような世界を、それでも美しいと思え。カラフルなブルーズ。昔おぼえた魔法。思わずお金を渡したくなる。雨が好き。本名はレイと申します。先祖は吉田屋でございます。

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これがすべてお芝居、物語なんだけど、いつも非日常的な存在と思われちゃうぼくにも、生きているうちに、日常というものを知りたいと願っている。そして、そうやって生きている私もまた、お芝居なのだろう。でも、私にも安心がいつか来ると信じているのだ。で、それがまたやっぱり物語なんだろう。ぼく、かみさま、たべちゃうよ。トホホ。

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写真は、2019年10月8日、モップくんと。TシャツはDr.スランプのアラレちゃんとガッちゃんが描かれています。

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