甲府のY字路

山梨は甲府にあるY字路です。

湯村という温泉街にあります。

川になっているから、Y字路においては異端だ。

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アナーキストで、晩年はよろず評判家と名乗った竹中労と、その父である画家の竹中英太郎の作品などがある、竹中英太郎記念館に行ったときの写真です。

2016年10月16日の風景。

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異母兄妹である方が記念館を任されていて、その頃、知人だったのですが、竹中労ファンの若い子からの丁寧なお手紙をFacebookに載せたりすることを、私は許せず、憤りました。

この日、竹中英太郎記念館に着いたら、その妹さん夫婦が自動車で、樹木希林さんを甲府駅まで送って帰ってきたところだった。

旦那さんは元電通マンで、竹中労が批判していた側の世界に身を置いていた人が竹中労の記念館を経営しているのは、皮肉です。

前日の竹中労没後25周年イベントでも、竹中労が晩年に心酔した「さよなら人類」の”たま”について「そんなにすごい人たちじゃないですよね」などと失礼なことを言っていて、そのとき壇上にいた水道橋博士が「旦那さんは習近平に似てますよね」というギャグを言っていたのと、樹木希林さんが竹中労の愛人の話を暴露し出したのがあったから、何とかイベントとして成立していた。

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竹中労は70年代頃、同じく政治活動家を原点とする平岡正明と太田龍と並んで、3バカゲバリストなどと呼ばれました。

その後、平岡正明はジャズや歌謡曲や大道芸や落語など芸能を語っていき、太田龍は地底人とか二ビル星人とかフリーメイソンとか陰謀論に向かっていき、竹中労はどうしたかというと、癌になったのに背中一面に刺青を彫って、死にました。

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彼は、芸能界や新興宗教やヤクザやオカマや天皇家など、この世の異形の者たちを語り尽くしたが、自らは意外と普通の人の立場でもいられることに気づいてしまったのかもしれません。

だから、彫師・梵天太郎に、水滸伝の花和尚を彫らせた。

そうして彼は、目に見える形でケレン味を纏い、カタギでなくなった。

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竹中労のもとに集まった弟子や信奉者の多くは、沖縄や日本赤軍やビートルズや渡辺プロや創価学会や山谷や美空ひばりや夢野久作やフォークソングや大杉栄や勝新太郎の話には興味を持ったが、たまを「日本のビートルズだ!」と熱中するイカ天の審査員をする晩年の竹中労については、あまり理解できなかったようです。

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二酸化炭素を吐き出して
あの娘が呼吸をしているよ

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竹中労の幽霊は、SNSとダイバーシティの時代の欺瞞を、たったひとことで暴き、見事に刺すだろう。

しかし、それすらもコンテンツとして消費される絶望だ。

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「人は無力だから群れるのではなく、群れるから無力になる」

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