Month: July 2022

れいゆ大學②⑦ 安倍晋三と山上徹也 〜お願いDJ〜

. 安倍晋三氏と山上徹也氏について、noteに書きました。以下のリンクを押してください。 . . . .

すしのや系図

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あってますか?!😢

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令和四年七月の狂歌三首

. こういうのは、短歌というより、狂歌というようです。でもこれは社会風刺ではなく、極私的狂歌です。 .

えぼし麻呂のたいやき

. たいやきが、えぼし麻呂が鯛を持っている姿がたいやきになっている、おめでたい、たい焼きでした。 栗も入っていて、びっくり。 . . .

きっと!ボクは!

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宇宙の群れからヒョイ

. 立川談志「談志最後の落語論」より。 .

プカプカとYAZAWA

. フォーク・ブルースの名曲「プカプカ」は多くの歌手に歌われている。作者であり最初に歌った人である西岡恭蔵は、フォークブームが去ったあとは、自らの歌の活動のほかに、矢沢永吉のいくつかの作詞をした。「今・揺れる・おまえ」「古いラブレター」「東京ナイト」などの詞を書いた。 . だから西岡恭蔵が命を絶ったとき、お葬式に矢沢永吉が現れた。そのときの矢沢永吉は決してスターとして振る舞うことなく、YAZAWAではなく、静かに手を合わせ、立ち去ったという。 . 西岡恭蔵が「プカプカ」を歌うときは、イントロでセリフみたいな歌を歌ってから、「俺のあんこはタバコが好きで…」と本編が始まる。 . . おいらを風来坊にした いかしたあの子 冬の雨の相合い傘さ いかしたあの子 通りすがりのこの街で 君の涙を見たものだから それがためで いまじゃおいら こんなに おいらの話 聞いとくれ . . . . .

calm, calm

calm, calm

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セントエルモちゃんとあーちゃん

. セントエルモちゃん(ひだり)と、あーちゃん(みぎ)です。 . エルモぞく です。 . . 「エルモのテーマ」 . ♫エルモと出会って 得るものあったかい? . . .

お月さまのクッキーみつけた!

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クッキー…

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ポムポム!

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♡の真実

♡の真実

夫婦漫才の「かつみ♡さゆり」さんは、以前は、「太平かつみ・さゆり」でした。かつみさんが太平サブロー・シローの太平シローさんの弟子だからです。 . 太平サブロー・シローさんはレツゴー三匹の弟子で、レツゴー三匹はタイヘイトリオの弟子です。タイヘイトリオを祖とする上方漫才のファミリーをタイヘイ一門と呼びます。 . 上方歌舞伎の夢破れ、落語家もうまくいかず、神社の境内や路上でネコやウグイスの鳴き真似をする芸人になった初代江戸家猫八。その弟子が上方演芸のスター木下華声(二代目猫八)です。 . その華声の弟子のタイヘイ洋児らの音曲漫才タイヘイトリオ、一世を風靡した大物です。レツゴー三匹、ザ・ぼんち、太平サブロー・シロー、幸助福助、ティーアップ、シンクタンクと、その系図は孫弟子まで連なります。ぼんちおさむさん門下のジミー大西さんは、その絵のセンスを岡本太郎に絶賛されました。 . さゆりさんは、六代目桂文枝さん(かつては三枝さん)の落語家ではなくタレントコースの弟子で、尾崎小百合さんでした。太平かつみさんと尾崎小百合さんが結婚して、漫才コンビ「太平かつみ・さゆり」になったのです。つまり、さゆりさんも「太平さゆり」だったわけです。 . やがて芸名を、「太平かつみ・さゆり」から、「かつみ♡さゆり」に変えました。屋号が消え、名前と名前のあいだにハートが生まれたのです。太平の屋号を名乗る人がもともと少なかったとはいえ、由緒あるタイヘイ一門の歴史の中で、先人たちの偉大さよりも二人の愛が上回った瞬間なのです。 . しかも驚くべきことに、ひとりひとりの名前は、「かつみ♡」と「♡さゆり」なのだそうです。つまり、「かつみ♡」と「♡さゆり」をコンビとして表記すると「かつみ♡さゆり」になるのです。 . ボヨヨヨ〜ン! . . . . noteにもUPしました。 れいゆ大學②⑥ 《上方漫才史》♡の真実 . . .

談志の了見

談志の了見

立川談志が生きていたら、山上徹也を「母親思いの優しい青年」「心臓は狙わなかった」「借金させても献金させる統一教会より、上納金が払えない弟子を破門にする俺は、優しいヨォ」という感じで捲し立てるに違いないのである。何せ、ニューヨーク同時多発テロのとき、「たーまやー!」と言った人である。しかし、現在は、芸人に常識が求められる時代。…その現象を、上岡龍太郎は、「一般の社会のほうにあった《建前》が崩壊したから」と解説した。

選挙の日2022

. 選挙は投票だけじゃない。投票のときにタレントたちは突然選挙に行こうと呼びかける。そうではなく、この世はすべて選挙なのではないだろうか。 . . .

“Lady, be quiet”

“Lady, be quiet”

. 僕にはこう見えているのでした。クールでもなく、オモシロでもなく。 . .

仲良し亭れいゆ・おすし〜漫才「暗殺」

仲良し亭れいゆ・おすし〜漫才「暗殺」

れいゆ「いやあ驚きましたね、安倍暗殺」

おすし「♫ほんの小さな出来事に 愛は傷ついて〜」

れいゆ「はいはい、チューリップのサボテンの花ね。しかし、自作の銃というのが凄いね」

おすし「♫片手にピストル!心に花束!」

れいゆ「はいはい、沢田研二のサムライね。散弾銃かと思ったら、手作りだったから変な形だったらしいよ」

おすし「♫こんな田舎で僕より強い人に初めて会って嬉しかったよ」

れいゆ「はいはい、大森靖子のさっちゃんのセクシーカレーね。1960年に社会党の大物、浅沼稲次郎を暗殺した右翼少年の山口二矢。彼は短刀だったね」

おすし「♫隠したナイフが似合わない僕を」

れいゆ「はいはい、スピッツの空も飛べるはずね。安倍を暗殺した人は左翼ではなく自衛官だった。自民党の敵もじつは昔から、右のほうなんだね」

おすし「♫大嫌い、大嫌い、大嫌い、大好き!」

れいゆ「はいはい、モーニング娘。の抱いてHOLD ON MEね。それにしても、まず爆弾をつくってみたというのも凄いね」

おすし「♫アニメじゃない!」

れいゆ「はいはい、ガンダムの歌ね。しかし、安倍の倒れた報道写真も、昔の歴史的な事件みたいだったね」

おすし「♫アニメじゃない!」

れいゆ「はいはい、ガンダムの歌ね。ただ、暗殺した人は、顔と服装がまずいよね。だいたい、テロリストは、暗いよね。明るいテロリストがいたら、それも嫌だけど」

おすし「♫ねえ 笑って?」

れいゆ「はいはい、モーニング娘。の抱いてHOLD ON MEね。ところで、安倍のおじいさんの岸信介は、国会を囲んだ33万人に『岸を殺せ』と言われたけど、殺されなかった。安倍は、『安倍はやめろ』だったのに、殺されたね」

おすし「♫これっきり、これっきり、これっきりですか?」

れいゆ「はいはい、山口百恵の横須賀ストーリーね。しかし、散々、安倍を揶揄してきた人たちが、綺麗事を言っているのはほんとうに呆れるよね」

おすし「♫そんなんばかりが 女じゃない〜!」

れいゆ「はいはい、globeのFACEね」

おすし「歌詞でしか自分を表現できないの…」

れいゆ「モーツァルトはお菓子の中でチョコレートを特別なものだと言った。君は歌詞(菓子)よりチョコレートだよ」

おすし「ドッキリンコ!」

れいゆ「おすしやめろ!おすしやめろ!おすし法案反対!おすし辞職しろ!」

おすし「日米体験!安保リバボー」

れいゆ「いいかげんにしなさい」

系図(初代可楽〜圓朝〜荷風〜高田渡〜渚あいみ)

高田渡は「落語家のようだ」と言われていた。歌やギターだけでなく小咄を喋り、古今亭志ん生のように居眠りをしたり、たまにしかマスメディアに登場しなかったり、吉祥寺の居酒屋にいるその生活感や雰囲気からだろう。 . しかし、そこには、「歌手やミュージシャンなのに落語家みたい」という、物事をギャップで見る意識が強く感じられた。実際、志ん生の居眠りと高田渡の居眠りは内容が違うのだから(渡はじつは意図的にステージで眠っていた)。 . そして一人で芸をすることが、本来は落語だったのだし、現代の落語界の政治構造に属していない人も、プリミティブな意味において落語家のはずである。 . そんなことを考える中、私はひとつの歴史的事実を発見した。 . . . . まず、僕は高田渡に最後に会いに行った若い子として、自称最後の弟子を名乗る。 . 高田渡の父で人生の師だった高田豊さんという人は、若い頃に詩人で、佐藤春夫の弟子だった。やがて破門となり、数奇な運命を生きた。 . 井伏鱒二や太宰治、山之口貘らを世話した佐藤春夫は、永井荷風の弟子である。 . 永井荷風は小説家になる前に、落語家だった。六代目朝寝坊むらくに入門し、朝寝坊夢之助を名乗った。 しかし名家の子ゆえ、辞めさせられてしまい、半年間の前座修行で終わってしまった。 その後の荷風の生き方、日記を書き連ねるスタイル、落語家たちや浅草ロック座の踊り子との交流を見れば、彼がまぎれもなく芸人であることを現している。 . だから、その流れを汲む高田渡は、まぎれもなく落語家である。比喩などではなく、落語家なのだ。 そして、はっきり言って、この僕も、落語家である。 . . 落語は上方発祥の演芸だが、のちに江戸でも洒脱な文化人たちの嗜みとなった。しかし、みな、ほかの本職を持ちながら、落語を作ったり演じたりしていた。 その代表格が烏亭焉馬であり、彼は大工でありながらユニークな文化人だった。 . そんな中、西暦1777年のラッキーセブンの年に生まれたひとりの櫛職人が、櫛をつくる道具を捨て、落語に専念した。江戸で初めての職業落語家である。 . 京屋又五郎、それが彼の本名で、芸名を三笑亭可楽とした。山椒は小粒だがピリリと辛いという諺の洒落である。 . 現在、東京のほぼすべての落語家が、初代可楽を源流とする。立川談志も三遊亭圓楽もヨネスケも、落語協会も落語芸術協会も海老名家もみな可楽がルーツである。 . . 三笑亭可楽の名跡は九代目まで受け継がれており、門下の可龍と可風が寄席で活躍している。 . 六代目朝寝坊むらくは、寄席界のファムファタール、初代立花家橘之助の夫でもあった。 . 朝寝坊むらくの名跡も九代目まで続き、十代目にして、八代目可楽の弟子が、朝寝坊むらくの屋号と書き方を変え、三笑亭夢楽としたため、代数には数えない。三笑亭夢楽が落語家になったきっかけは永井荷風と知り合いだったからだ。 . さらに、夢楽は弟子に夢之助と名付けた。この三笑亭夢之助はいくらか前までテレビでも活躍していた人だが、まさに永井荷風の朝寝坊夢之助の二代目だったのである。ただし、落語の世界では、歴史の中で大きくならなかった名前はあまり襲名という言葉は使わない。 . なお、初代の朝寝坊むらくは、初代可楽の弟子で、夢楽と名付けられたのに夢羅久と無断で漢字を変えたために破門になった。 . 

必要バカボン

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