さよなら、フォークソング。

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高田渡が永眠し、日本のフォークソングは終わった。

以降、高田渡の意思や価値観に反したことが行われた。「高田渡生誕会」、「ワタルカフェ」など。ほかにも、仲間だったはずの人々は、愚かなことを続けた。高田渡の切なる願いは、形にならなかった。

高田渡の最後の使徒である僕は、生き続けた。

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2021年、なぎら健壱さんによる「高田渡に会いに行く」という本が出版された。キャッチコピーは「ほんとうの高田渡」とある。

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少ない視点で高田渡のイメージを断定し、不確かなエピソード(渡が不倫していたような記述や、記憶障害など)を載せている。無責任だ。

知る人ぞ知るカリスマで終わり、病に倒れた人生を、「渡が自分で選んだ」などと無責任に結ぶ。

一方で、高田渡が多くの人を助け、世話をしたことには触れていない。

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私は、なぎら健壱著「高田渡に会いに行く」に異議を唱えたく、文面上は批判は伏せ、会わせてほしいと丁寧に直談判の手紙を出した。返事は来なかった。

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「渡ちゃんはこういう考えでした→凄いよね→でもアタシは違うと思うな」

「渡ちゃんを神様みたいに言う人たちがいる→渡ちゃんは尊敬されてるね→でも違うよね」

これが、《なぎら話法》だ。高田渡を愛しているが自分の意見を上回らせる。高田渡の直弟子たちが、なぎらさんの高田渡語りにいつも違和感を抱く理由である。

なぎら健壱さんは音楽の後継者なだけで、精神の後継者ではない。

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高田渡は吃音を克服した人で、その名残りは発声に垣間見える。

吃音とは口や舌の障害ではなく、発達障害である。

だから高田渡の誠実さや頑固さ子供っぽさは、西洋の精神医学的に言えば、自閉スペクトラムの断片の現れである。誰より大人っぽいが、誰より幼い。彼の性質の秘密は、何てことはない、簡単な理由なのだ。

ただ、あの世代の人の多くは、知的障害がない状態を自閉とは認めない。しかし、吃音は発達障害以外の何でもない。

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高田渡は自分で選択した人生を生きていたわけではない。限られた中を頑張って生きた。

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「洗濯機がグルグル回ってるのをずっと見ちゃうんだよね。見なくていいのにね」

「風景があった。その風景に帰りたいと思う自分があった。みんな、絶対にそうだと思う」

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自我が希薄な彼は、酒場や喫茶店や公園やライブ会場で、人々を眺め、その中に身を置くことで、自分を確かめていた。

すべてが、高田渡の周りにいた連中とは何もかも違う。

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なぎらさんは高田渡を私物化し、高田漣さんは事勿れ主義。ほかの弟子たちは、霧散した。

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高田渡の医学的な死因は、肝臓ではなく心臓だった。

お酒で死んだのではなく、ストレスで死んだというほうが適切なはずだ。でも、お酒ってことにしたらラクなのである。渡さんのせいにできるから。

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高田渡をキリストとして十字架に磔にしながら、自分は悪くないという態度は、十二使徒どころか、ユダである。

しかし、ユダがいなければイエスはキリストではなかったかもしれない。

後継者だったのに裏切り者に降格したなぎらさんは、やはり高田渡伝説の最重要人物の一人だろう。

名前は伏せるが、もっと変な高田渡語りをしていた人たちに対して、なぎらさんはアンチテーゼを提示したが、「高田渡に会いに行く」が限界だった。

「高田渡に会いに行く」は、ユダによる福音。

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なぎら健壱さんの優しい歌は、人々を励ます。

しかし、高田渡はもっと優しい。

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さよなら、フォークソング。そして、高田渡よ永遠なれ。

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